関ジャニ∞(現SUPER EIGHT)の横山裕さんの生い立ちをご存知ですか?
幼い頃の両親の離婚から始まり、母親の病気と死別、そして弟の記憶喪失という壮絶な体験を乗り越えてきた横山裕さんの半生には、多くの人が涙を流しています。
この記事では、横山裕さんの感動的な生い立ちと家族愛について詳しくお伝えします。
芸能界で活躍する横山裕さんですが、その輝かしいキャリアの裏には想像を絶する苦労と家族への深い愛がありました。
横山裕の生い立ち・3歳で両親離婚、義父との複雑な関係

家族の形は人それぞれですが、横山裕さんの幼少期は特に複雑な環境でした。
横山裕さんの生い立ちは、3歳の時の両親の離婚から始まります。
5歳になると母親が再婚し、新しい父親(義父)の姓である「横山」を名乗ることになりました。
2021.8.12
両親が3歳で離婚して、5歳の頃に新しい父親ができました。義父の名字が「横山」です。あまり記憶がないのですが、僕は義父になじめなかったようで、団地の2階上に住む祖父母の家で暮らすようになりました。
出典:読売新聞
小学5年生の頃には祖父の体調悪化により、祖父母、両親、そして6歳下と8歳下の弟2人を含む7人で同居生活が始まりました。
しかし、横山裕さんは義父を受け入れることができず、「本当のお父さんじゃないからや」と反発することもあったそうです。
幼い心には理解が難しい複雑な家庭環境の中で、横山裕さんは懸命に生きていたのですね。
中学3年生の時、母親がジャニーズ事務所に履歴書を送ったことで芸能界への道が開けました。
中学卒業後は高校に進学せず、建設会社で働きながらジャニーズの活動を続ける決意を固めました。
幼少期から続く「複雑さ」と「責任感」は、横山裕さんの生き方そのものを形づくってきたのだと感じます。
血のつながりや家庭の事情に翻弄されながらも、強い意思で道を切り開こうとした姿に感動しますね。
横山裕の母親との絆・がんと闘う母を支えた青春時代

10代で家計を支える責任を背負った横山裕さんの母親への想いは、計り知れないものがあります。
横山裕さんは中学卒業後、家族思いの性格から高校進学を諦め、建設現場で働いて家計を助け、がれきの片付けや足場組みなどの肉体労働をしながら、ジャニーズの活動も続ける多忙な日々を送っていました。
2025.2.4
家族思いだった横山は中学を卒業すると高校へは進学せず、建設会社で働いて家計を助けていた。10代で”一家の大黒柱”となったが、母親が旧ジャニーズ事務所に履歴書を送ったことで芸能界入りを果たすことに。
出典:女性自身
母親の病と死
- 母にがんが見つかる。手術は成功も昼夜働き続ける生活。
- 「母と弟たちのために成功したい」と芸能活動に専念。
- 2010年、青森コンサート当日に母が虚血性心疾患で急逝。死に目には会えなかった。
- コンサートのセットリストには母への想いを込めた曲『オニギシ』が入っていた。
- 母の死のショックで次男が倒れ、記憶喪失に。
兄としての役割
- 弟たちの成長を見守りながら生活。父親代わりとしての自覚が芽生える。
- 弟たちに「辛いことから逃げず乗り越えろ」と一喝する姿も。
- 二男は就職、三男は大学進学し税理士に。学費は横山が全額負担。
- 自身も2015年に番組企画で高卒認定試験に挑戦し、一発合格。
1番長かった日
- 2016年6月18日、次男の結婚式の日を選出。
- 三男と共に3か月間トランペットを練習し、福山雅治の『家族になろうよ』を披露。
- 弟から感謝の手紙を読み上げられ、涙が止まらなかった。
俳優としての歩み
- 2022年度後期朝ドラ『舞いあがれ!』でヒロインの兄・悠人役を熱演。
- 家族に支えられて立ち直る役柄と、自身の境遇を重ねて涙するシーンも。
- 会員制ブログで「オカンが見守ってくれた」と思いを明かしていた。
反響
- 視聴者・ファンから「胸が締め付けられる」「素敵な兄弟だ」とSNSで大反響。
- TVerで見直す人も多数。横山の涙と家族エピソードが多くの共感を呼んだ。
出典:2025.2.4女性自身記事内容より
横山裕さんの歩みを振り返ると、そこには苦難と温かな家族愛の両方が刻まれています。
2022年度後期の朝ドラ『舞いあがれ!』で演じたのは、家族に支えられながら再び歩き出す兄の役でした。
自らの境遇を重ねて涙を流したというエピソードは、彼の人生そのものが役柄に深くリンクしていたからこそ、視聴者の心に響いたのだと思います。
「オカンが見守ってくれた」とブログにつづった一言には、亡き母への深い愛情と今も続く絆を感じます。
SNSでも「胸が締め付けられる」「素敵な兄弟だ」という声があふれ、多くの人が彼の涙や言葉に共感しました。
決して平坦ではなかった人生を、横山裕さんは弟たちを守る兄として、また一人の俳優として力強く歩んできたのです。
その姿は“努力の人”という言葉がぴったりであり、これからも彼の選ぶ道に温かい光が差し込むことを願わずにはいられないですね。
横山裕の母親の死・弟(次男)の記憶喪失

人生には予期せぬ出来事が襲いかかることがありますが、横山裕さんに訪れた試練はあまりにも過酷でした。
2010年5月16日、横山裕さんの人生で最も辛い日が訪れました。
青森でのコンサート直前に、弟さんから母親が虚血性心疾患で突然倒れたという連絡が入りました。
2025.2.4
そんなある日、母が虚血性心疾患で帰らぬ人となった。2010年5月16日。次男はショックで記憶喪失になり、母が亡くなったことも忘れてしまうほどだった
出典:スポーツニッポン
母親はそのまま息を引き取り、横山裕さんは死に目に会うことができませんでした。
さらに追い討ちをかけるように、母親の死のショックで弟さんが倒れ、記憶喪失になってしまったのです。
奇しくもその日のコンサートでは、大好きな母親を思って書いた楽曲「オニギシ」がセットリストに入っていました。
想像するだけで胸が締め付けられるような状況ですが、横山裕さんはその後も弟たちと生活を共にし、母親の代わりとなって2人の成長を見守り続けました。
次男さんは高校卒業後に就職し、三男さんが大学進学を希望した際は、横山裕さんが学費を全額負担したそうです。
ネット上では「横山裕さんの話を聞いて泣いた」「本当に素晴らしい兄だ」といった感動の声が多数寄せられています。
母親の急逝に立ち会えなかったこと、さらに弟がショックで記憶を失った出来事は、横山裕さんにとって計り知れない悲しみだったと思います。
それでも横山裕さんは弟たちと共に暮らし、母の代わりとなって支え続けました。
学費を肩代わりして弟の夢を後押しする姿には、兄としての強い責任感と深い愛情がにじみ出ています。
想像を超える逆境を乗り越えながらも、家族を守り抜いた横山裕さんの生き方に心を打たれてしまします。
まとめ
困難な状況に直面しても、家族への愛を貫き通した横山裕さんの生き方には多くの学びがあります。
横山裕さんの生い立ちは、3歳での両親の離婚から始まり、義父との複雑な関係、10代での家計支援、母親のがん闘病と突然の死別、そして弟の記憶喪失という試練の連続でした。
しかし、どんなに辛い状況でも家族への愛を忘れず、兄として弟たちを支え続けた横山裕さんの姿勢は、多くの人に深い感動を与えています。
そして今年8月30日・31日に放送される『24時間テレビ48』では、SUPER EIGHT(旧関ジャニ∞)の横山裕さんがチャリティーマラソンランナーを務めることが決定しました。
幼少期から家族を支え続けた彼だからこそ、走る姿には大きな意味が宿るはずです。
ぜひ無事に完走を果たしてほしいですね。
現在もSUPER EIGHTのメンバーとして活動を続けながら、1年間限定のソロプロジェクト「ROCK TO YOU」も展開している横山裕さん。
壮絶な生い立ちを乗り越えて築いた強い絆と、家族への深い愛情を胸に、横山裕さんの今後のさらなる活躍から目が離せません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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