【純烈】白川裕二郎の力士経歴が凄い!序二段時代から俳優・歌手への転身まとめ!

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純烈のメインボーカルとして活躍する 白川裕二郎さんですが、実は“大相撲力士”として土俵に立っていた過去をご存じでしょうか。


四股名「綱ノ富士」として朝日山部屋で修行していた白川裕二郎さんが、どのようにして俳優へ、そして歌手へと転身していったのか。


この記事では、白川裕二郎さんの 力士時代から現在に至るまでの驚きの経歴 を、わかりやすくまとめてご紹介します。

目次

白川裕二郎の力士時代・朝日山部屋での「綱ノ富士」

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白川裕二郎の力士時代・朝日山部屋での「綱ノ富士」
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力士時代のイメージ画像

白川裕二郎さんの力士としての経歴は、多くの人にとって意外な事実かもしれません。純烈のメインボーカルとして知られる白川裕二郎さんが、かつて大相撲の土俵に立っていたという過去を持っているのです。

白川裕二郎さんは1995年9月場所に朝日山部屋から初土俵を踏みました。

当初は本名の「白川」という四股名でしたが、1996年7月場所から「綱ノ富士」に改名しています。

出身地の横浜市港北区綱島から名前を取ったとされています。

出典:2022.6.21スポーツニッポン記事内容より

  • 白川裕二郎さん(45)はフジテレビ「ポップUP!」に、リーダー酒井一圭(47)とゲスト出演し、力士時代の話を披露。
  • 白川裕二郎さんは純烈加入前、朝日山部屋で力士として活動しており、四股名は「綱ノ富士」。最高位は序二段99枚目
  • 入門1年で怪我により引退したが、当時の写真も公開され、当初の体重は約75〜76kgだったと説明。
  • 稽古と食事で体重は毎日一升のご飯を食べて105kgまで増量したと語った。
  • 千代の富士への憧れや、相撲好きの両親の影響で「相撲取りになりたい」という夢を実現した過去を振り返った。
  • 引退後は体重管理のため糖質制限ダイエットを繰り返し、徐々に体重が落ちていったという。
  • 白川は現在かなり痩せているが、「当時の105kgと今の酒井リーダーがほぼ同じ」と冗談を交えて紹介し、笑いを誘った。
  • 相撲時代に鍛えた柔軟性は今も歌に活きており、股関節を柔らかくするトレーニング(股割り)を継続。番組内でも実演し、スタジオから驚きと歓声があがった。

白川裕二郎さんの力士時代は、身長182cm・体重82kgで入門したものの、力士としては小柄な体格でした。


それでも小さい頃から千代の富士に憧れ、相撲好きの両親に背中を押されるようにして朝日山部屋へ入門し、「綱ノ富士」として土俵に立つ夢をかなえました。

入門後は厳しい稽古に加えて、毎日ご飯一升を食べるという部屋のノルマで体を作り、体重は最大105kgまで増量し、

夢に向かってまっすぐ努力していた姿勢がよく伝わるエピソードです。

しかし、稽古中の怪我に悩まされ、わずか1年で引退を決断。


1996年9月場所を最後に土俵を去ることになり、本人にとっては悔しさも大きかったはずです。

それでも、相撲部屋での厳しい経験は白川裕二郎さんの人生に大きな影響を与えました。


柔軟トレーニングや体づくりの習慣は今も続けており、純烈として歌う際の声の出しやすさにもつながっているそうです。

過去を笑顔で振り返り、冗談を交えてスタジオを盛り上げる姿からは、苦しい時期を前向きに乗り越えてきた強さが感じられます。


力士としての夢は短く終わったものの、その挫折が次の夢へ向かう第一歩になりました。


どのステージに立っても“まっすぐ努力する人”という印象は変わらず、これからの活躍にも自然と期待が高まりますね。

白川裕二郎が力士から俳優へ・「ハリケンジャー」で新たな人生

出典:YouTube Joe Rafik 
Gouraiger Best Battle – Hurricaneger

相撲界を引退した白川裕二郎さんは、すぐに新しい道を見つけたわけではありませんでした。

不景気も重なり、転職先はなかなか見つからず、約3年間はアルバイトで生計を立てていたそうです。

転機が訪れたのは、母親から劇団のポスターを見せられたことがきっかけでした。

白川裕二郎さんは青年座に入り、俳優としての道を歩み始めます。

出典:YouTube  oricon
純烈・白川裕二郎がカブトライジャーとしてメッセージ「20年分の想いが詰まっています!」 
スーパー戦隊シリーズ『忍風戦隊ハリケンジャー』20周年特集トークショー





白川裕二郎さんの転身ストーリーは、挫折の先にある“次の扉”がどこで開くのか分からないという人生の面白さを感じさせてくれます。


力士を引退した後、3年間はアルバイトで生活をつなぎながら過ごしていたという背景には、現実の厳しさと葛藤があったはずです。

そんな時に訪れた転機が、母親が見せてくれた一枚の劇団ポスターだったというのも印象的です。


大きなチャンスは、意外なほど小さなきっかけから始まるものですね。


土俵を離れても「もう一度何かに挑戦したい」という思いが残っていたからこそ、そのポスターが心に響いたのかもしれません。

青年座に加入し、俳優としての人生を歩き始めた白川裕二郎さんの姿を見ると、相撲で培った根気や体の使い方が決して無駄になっていないことが分かります。


その努力が積み重なった結果、「ハリケンジャー」への出演という大きなチャンスにもつながったんだと思います。

土俵で夢が絶たれた後でも、人生は終わりではありませんし、むしろそこから新しいストーリーが始まるのだと、白川裕二郎さんの歩みが静かに教えてくれているようです。


どのジャンルにいても、まっすぐ努力を続ける人には必ず光が差す瞬間が訪れるーーそんな前向きな気持ちにさせてくれる転身エピソードですね。

白川裕二郎の力士経歴から歌手へ・純烈での大ブレイク

出典:YouTube 
純烈じゃ〜TV純烈「二人だけの秘密」ミュージックビデオ

俳優として活動していた白川裕二郎さんは、2007年から歌謡コーラスグループ「純烈」のメンバーとして活動を開始しました。元戦隊ヒーロー出身者を中心に結成されたこのグループで、白川裕二郎さんはメインボーカルを担当しています。

出典:2023年1月13日月刊歌の手帖インタビューサイト記事内容より

  • 周囲からは「やめたほうがいい」「無理だ」と強く反対されていた。
  • 白川裕二郎さんの中には「絶対」という言葉はなく、わずかな可能性にも希望を見いだしていた。
  • “1%”というより“5%くらいの可能性”を感じていたと回想。
  • 戦隊出演後も舞台やミュージカルなどの仕事はあった。
  • それでも、「俳優として長く残れるイメージが持てなかった」と感じていた。
  • 新しい戦隊シリーズが毎年始まり、若い俳優が次々と登場する業界の仕組みも影響。
  • 年齢を重ねて役の幅が広がる人もいるが、「自分はそこに届かない」と判断した。
  • 役を深く掘り下げる力に限界を感じ、他の俳優との実力差を意識していた。
  • 俳優の世界に固執せず「まったく違うフィールドに行けば新しい自分が見えるのでは」と考えた。
  • 歌の経験はほぼゼロだったが、あえて未知の世界へ挑戦したい気持ちが強かった。

純烈は結成当初、全国の健康センターやスーパー銭湯を中心に地道な活動を続けていました。

年間200以上のステージに立つこともあったという下積み時代を経て、徐々に人気を獲得していきます。

そして2018年、ついに念願だったNHK紅白歌合戦への初出場を果たしました。

出典:2019.1.1スポーツ報知記事内容より

  • 純烈は紅白歌合戦の出演後、翌日未明から“凱旋ライブ”を開催
  • 会場は、下積み時代からステージに立ってきたスーパー銭湯3店舗。
  • 午前3時すぎに埼玉県草加市の店舗でライブを開始。
  • その後、神奈川県厚木市の店舗へ移動し、続けてステージを実施。
  • 午後6時すぎには、神奈川県座間市の3店舗目で最終公演を行った。

白川裕二郎さんは紅白出場後、8年前に結婚していたことも公表されました。

出典:2019.1.1スポーツ報知記事内容より

  • 白川裕二郎さんは、一部で「10年前に結婚していた」と報じられた件について言及。
  • 約300人の観客を前に、結婚していたことを正式に認めた。
  • 実際の結婚時期は「10年前ではなく8年前」と説明。
  • 会場ではファンから温かい拍手が送られた。

プライベートでは結婚という大切な節目を迎えながらも、白川裕二郎さんは純烈のメンバーとして精力的な活動を続けています。

力士時代に増えた体重も、糖質制限や日々の体づくりによって健やかなスタイルへ戻しており、そのストイックさは今も変わりません。

現在は歌手としてのステージに加えて、釣り番組【https://www.youtube.com/watch?v=1K5JESxdM3o】などのテレビ出演でも活躍の幅を広げています。

相撲、俳優、そして歌手というまったく異なる世界を歩いてきた人生は、決して平たんな道ではなかったと思いますが、座右の銘である「努力はうそをつかない」「あきらめないのも才能」という言葉は、まさに白川裕二郎さんの人生そのものですね。

何度つまずいても立ち上がり、新しい場所で道を切り開いてきた姿を見ると、人はいつからでも挑戦できるという勇気をもらえます。

これからもどんな未来を見せてくれるのか、自然と期待が膨らみます。

まとめ

白川裕二郎さんの歩みを振り返ると、力士として朝日山部屋に入門し、「綱ノ富士」として土俵に立った日々から始まります。


怪我によってわずか1年で引退という挫折を経験しましたが、その出来事が後の人生の大きな転機になりました。

その後は俳優へと道を変え、『忍風戦隊ハリケンジャー』で一気に注目を集めます。


現在は純烈のメインボーカルとして活躍しており、歌手としての存在感も確かなものになりました。

序二段99枚目という決して高くない番付でも、相撲部屋で培った精神力や基礎体力は大きな財産となり、俳優として磨かれた表現力と歌手としての魅力へとつながっています。


さまざまな経験が折り重なり、今の白川裕二郎さんを形づくっていることがよく分かります。

力士時代の経験は無駄ではなく、むしろその後の挑戦を支える土台となりました。

純烈としての音楽活動はもちろん、俳優としてもバラエティ番組での活躍にも広がりがあり、可能性はどこまでも大きい人だと感じます。


元力士という異色の経歴を持ちながら、新しい世界で自分の道を切り開いてきた姿は、魅力的です。

これからの活躍にも、ますます期待が高まりますね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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