1967年生まれの織田裕二さんが、なぜ今でも多くの人に愛され続けているのでしょうか?
その答えは、彼の若い頃の軌跡にあります。
この記事では、1987年のデビューから「東京ラブストーリー」での大ブレイクまで、織田裕二さんの知られざる若い頃のエピソードをご紹介します。
織田裕二の若い頃がイケメン・1987東映映画「湘南爆走族」で俳優デビュー

多くの人が知らない織田裕二さんの原点について、まず触れてみましょう。
織田裕二さんは1987年4月、東映映画「湘南爆走族」で俳優デビューを果たしました。
当時19歳だった織田さんは、この作品で江口洋介さんと共演し、後の「東京ラブストーリー」コンビの原点となったのです。
出典:2024.10.6スカパー!記事内容より
1980年代
- 1987年:映画「湘南爆走族」で俳優デビュー
1990年代前半
- 1991年:「東京ラブストーリー」主演で大ブレイク(永尾完治役)
- 1993年:「振り返れば奴がいる」で悪役的な医師を熱演し話題に
1990年代後半
- 1997年:ドラマ「踊る大捜査線」シリーズスタート(青島俊作役)
→ 以降、映画化・スペシャルドラマ化され、国民的ヒットシリーズに成長
2000年代
- 「踊る大捜査線 THE MOVIE」シリーズを中心に主演を務め、興行収入記録を更新
- 俳優として不動の地位を確立
2010年代以降
- テレビドラマや映画での主演を続けつつ、歌手活動や司会業も展開
- 国民的俳優として幅広い世代から支持を得る
織田裕二さんの歩みを改めて振り返ると、そのキャリアの積み重ねがいかに大きな存在感を生み出してきたのかがよく分かります。
デビュー当時は19歳の爽やかな青年として注目を集め、その後『東京ラブストーリー』で一気に国民的スターへと駆け上がりました。
さらに『振り返れば奴がいる』で悪役にも挑戦し、役者としての幅を広げたことが今につながっていると感じます。
そして、やはり代表作といえば『踊る大捜査線』シリーズですよね。
青島俊作というキャラクターは、正義感と人間味があふれる存在として、多くの視聴者の記憶に残っています。
その後も映画・ドラマ・歌手活動と幅広く活躍し続け、国民的俳優として不動の地位を築いたのは、挑戦と努力の積み重ねの賜物ですよね。
デビュー時の爽やかさから、今の円熟味ある姿まで――織田裕二さんの存在は、まさに時代と共に進化し続けてきました。
その歩みを追うだけで、日本のドラマ史の一端を感じられるように思います。
織田裕二の売れない時代と事務所からの最後通告

華々しいデビューを飾った織田裕二さんですが、実は順風満帆ではありませんでした。
織田裕二さんは、デビューから2~3年間は「鳴かず飛ばず」の状態が続いていたことを明かしています。
そんな中、1989年のNHKドラマ「十九歳」が彼にとって大きな転機となりました。
出典:2016.11.11 CRANK-IN記事内容より
- デビューから2~3年は鳴かず飛ばずで悩んでいた
- ドラマ『十九歳』出演時、事務所社長から
「これでダメなら普通の生活に戻れ」と言われプレッシャーをかけられていた - 作品に背水の陣で挑んでいたことを振り返る
- 当時のディレクターがコメント映像でエピソードを披露
- バイクで野良犬をよけるシーンで、織田が「迫力を出すためワンカメで連続撮影」を提案
- 犬が逃げないよう10日間の訓練が必要になり、スタッフが苦労した - 織田は「そうだったんですね!」と苦笑いし、当時の生意気さを自覚
- 作品作りに積極的だった自分を受け入れてくれたスタッフへ改めて感謝
- 今なら「意見をはっきり言う若者を歓迎する」と語った
華やかなデビューの裏に、実は厳しい現実があったことが印象的です。
数年間芽が出ず、事務所からも「これでダメなら普通の生活に戻れ」と最後通告を受けていた織田裕二さん。
それでも諦めず、作品に全力で挑んだ姿勢が、後の大ブレイクにつながったのだと思います。
また、当時は「生意気」とも取られるような意見をスタッフにぶつけながらも、本気で作品に向き合っていたことがわかりますよね。
その情熱を理解して支えてくれた周囲の存在も大きかったはずです。
今の織田さんが「意見をはっきり言う若者を歓迎する」と語っているのは、自らの経験があるからこそで苦しい時代を経たからこそ、人の成長を信じる目を持てるのだと感じます。
織田裕二が「東京ラブストーリー」で国民的俳優へ!カンチ役での大ブレイク

そして1991年、織田裕二さんの人生を変える作品が登場しました。
織田裕二さんは1991年1月から放送された「東京ラブストーリー」で永尾完治(カンチ)役を演じ、一躍時代の寵児となりました。
鈴木保奈美さん演じるリカとの恋愛模様は、当時の若者たちの心を鷲掴みにしたのです。
東京ラブストーリー (1991年) 1話 名シーン ♯01
出典:2020.1.10ORICON NEWS記事内容より
インタビューで、織田裕二さん自身の人生観や役者観をこのように語っています。
トップの孤独と責任
- 主演俳優は「社長」のような立場で、ドラマなら視聴率、映画なら動員数に責任を負う
- 「頭取は孤独」というセリフは、チームの大切さを伝える伏線
- 1人ではなく、仲間と共に進めることが大事だと実感
役作り・本質
- 前作から役の本質は変えていない
- 「仕事を通して得られる充実感」であり、お金や権力ではない
- 頭取であっても高給ではなく、むしろ質素な暮らし
織田裕二自身の下積み時代
- 6畳一間のボロアパートで暮らし、カーテン代わりに洋服やポスターを利用
- 「大変」と言われてもワクワクしていた
- 少しずつお金を貯めて、中古バイクを買った時の喜びが大きかった
仕事への姿勢
- 「来るものは拒まず」だが、「これだけはやらない」という基準を1〜2つ決めている
- 犬の着ぐるみCMでは、最初は戸惑ったが「人間らしく振る舞う」提案をして成功
- CMや作品でも、監督と意見をぶつけ合いながら柔軟に対応
- 食わず嫌いだったものも「やってみたら楽しい」と思うことが多い
仕事の幸せ
- 「また一緒に仕事をしたい」と思う仲間と再会できること
- 映画とドラマは性質が違い、両方を経験することで作品づくりがより楽しくなる
- 映画=アルバム制作のように完成度を追求
- 連ドラ=ライブツアーのように勢いが魅力
織田裕二さんの言葉からは、役者としてだけでなく一人の人間としても「トップに立つ責任」と「仲間と共に進む大切さ」を深く理解していることが伝わってきます。
若い頃に経験したボロアパートでの下積み生活や、少しずつ手に入れてきた喜びは、今の織田さんの仕事観を形作る原点だったのでしょう。
また、「来るものは拒まず」という柔軟な姿勢と同時に、自分なりの「これだけはやらない」を持ち続けている点も印象的です。
与えられた仕事をどう楽しみに変えるか、その中で周囲とぶつかり合いながらも信頼関係を築く姿は、俳優業にも人生そのものにも重なります。
「出会えてよかった人と再び一緒に作品を作ることが幸せ」と語る織田裕二さんの姿勢は、まさに人との縁を大切にしながら積み重ねてきたキャリアそのものですよね。
トップの孤独を知りつつも、仲間と歩む喜びを知る織田裕二さんだからこそ、多くの人を惹きつけ続けるのだと感じました。
まとめ
織田裕二さんの歩んできた道を振り返ると、デビュー当初の爽やかなイケメンぶりから、売れない時代の苦労を経て、『東京ラブストーリー』での大ブレイクへと続く、まさにドラマのような若き日の軌跡が見えてきます。
現在も第一線で活躍し続ける原点には、若い頃から変わらない真摯な努力と情熱がありました。
その姿勢こそが、長きにわたって多くの人を惹きつけ続けている理由なのだと思います。
これからの織田裕二さんの新たな挑戦からも、ますます目が離せませんよね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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